その年の夏はとても暑い夏でした。そのせいか夕立なども多く、 よく雨が降っていたのですが、あの日の雨の降り方は、今にして思 うと少しおかしかったのかもしれません。 当時、高校三年生だった私は、大学進学を希望していたにもかか わらず、生徒会の役員など引き受け、勉強そっちのけで生徒会活動 に明け暮れるような日々を送っていました。夏休みに入ってからも ほとんど毎日学校通い。それも生徒会の仕事をするためでした。そ の日も、やはり高三なのに生徒会長をしていた友人と、朝から生徒 会室にいました。午前中はクラブ活動の生徒でにぎやかだった学校 も、みんなが帰ってしまい、午後になると、昼までのことが嘘のよ うにシンと静まり返ってしまいます。いつものことながら、私たち はなんだか取り残されたような気持ちになるのでした。 そんな気持ちを振り払うかのように私と友人は印刷に取りかかり ました。まだパソコンやプリンターなどない時代です。印刷と言え ばガリ版(※)。午前中切った原紙を輪転機に掛けていると、それまで晴 れていた空がにわかに曇りました。辺りが夕方のように暗くなった かと思うと、雷鳴とともにバケツをひっくり返したような大雨です。 私たち二人はいつものことと、たいして気にもせず作業を続けまし た。輪転機を回して二三枚刷った時、突然印刷ができなくなりまし た。インクが出ないのです。調べてみるとインクはあるのに、なぜ か出て来ません。「おかしいなぁ……」友人がつぶやきました。そ の時です。 “ピシャ” どこかでおかしな音がしました。二人が耳を澄ませていると、また …。それは廊下の方から聞こえて来るようでした。音はだんだん近 づいて来ます。そして……、音が止まった。そう思った次の瞬間、 生徒会室のドアが嫌な音をたてて開きました。ドアを背にして立っ ていた私たちが振り向くと――。そこには警備員の姿が。 (なんだ、おじさんか……) きっと、この人が何かしていたのだろう。そう思って、今し方の音 のことは私たちの脳裏から消えて行ったのです。 警備のおじさんは取り留めもない話をしてしばらく生徒会室にい ました。 「今日の天気は少し変だね。なかなか止まんみたいだよ、雨が。こ んなに晴れたのに、まだシトシト降っとる。」 帰り際、窓の外に目を遣った初老の警備員は言いました。表はすっ かり明るくなっているのに、いつまでも小雨が続いています。なん となく気持ちを暗くさせる雨でした。「早く帰りなさいよ。」そう 言い残して生徒会室をあとにしたおじさんでしたが、廊下に出たと たん驚いたような声を上げました。私と友人が急いで部屋の外に出 てみると――。驚いたことに、廊下に点々と水溜りのようなものが できているのです。それは階下につながる階段からずっと続いてい て、ちょうど生徒会室の入り口の辺りで途切れていました。 「――」 「――」 「――」 「人が歩いた跡みたいだな……」 友人は思わず口にしたようでした。生徒会室に来る前、廊下で何か していたのか、そう警備員に訊くと、何もしていなかったと言いま す。それどころか、あの妙な音、それも自分は聞いていないと言う のです。しばらく沈黙が続いたあと、おじさんが独り言のように言 いました。 「そう言えば、さっき来る時、誰かが後ろからついて来るような、 なんだかそんな気がしたが……」 あとでわかったことなのですが、ちょうどその時刻頃、泳ぎに行っ た級友が海で溺れて亡くなっていたのです。